〈コンセプト・特色〉
音声オフの空間で、筆談をメインに、手話、ジェスチャーなど音声を使わないコミュニケーションを楽しむ体験型カフェ
〈取り組みの概要〉
三重県いなべ市にある文化財の木造校舎「桐林館(とうりんかん)」の一室を利用し、「桐林館喫茶室」という屋号でカフェをしています。喫茶室内は、“音声オフ”のルールがあり、声以外(筆談、手話、ジェスチャーなど)でのコミュニケーションを楽しむ、体験型カフェです。
全面的に“障がい者福祉の理解を!”とアピールするのではなく、「聞こえないことが誰かの障がいではなく、ジブンゴトとして体験してもらうこと」を目的としています。聞こえない世界の面白さや新しい発見につなげたい、施設や制度に依らないアプローチで、障がい者(児)福祉を知るきっかけづくりにしたい場所として運営しています。
利用者の多くは、一般的にカフェを利用する20~30代の女性、学生グループなどです。一方で、3割程度は、当事者(聴覚障がい者、難聴者)や手話や要約筆記にかかわる聴者の利用があります。筆談のみならず、手話やジェスチャーなど静かで賑やかなコミュニケーションが交わる空間となっています。
〈運営主体について〉
「一般社団法人kinari」
2020年6月設立。代表は、金子文絵(コミュニティナース/手話通訳者/いなべ市地域おこし協力隊)
【会社概要】
コンセプト「フクシはオシャレでオモシロイ」 ※SDGs③、⑩、⑪を視野に入れて活動
issue(課題)「福祉と社会の隔たりが生む、無意識の偏見」
mission「アート(アールブリュット)でフクシと人(社会)を結ぶ」
vision「アート(アールブリュット)でフクシの見方を変える」
アールブリュットの推進・啓蒙活動として、身近なもの(例:ドリップパックコーヒー)を媒介として、アールブリュットを周知していきます。作品に触れた人々に新たな発見、オモシロイをもたらし、その結果福祉のネガティブなイメージ(無意識の偏見)を変えることで、障がい児・者(作家)やその家族が生きやすい社会(多様性を認め合う社会)がつくられます。アートをツールに、福祉と社会をつなぎ、障がいをもつ人ももたない人も、生きやすくなり、生活が豊かになる社会を目指します。
【主な事業】
・筆談カフェの運営
・アールブリュット作品や関連商品の展示販売
・手話やろう文化の普及
・福祉プロダクト商品の開発(※ドリップアートプロジェクト)、福祉事業所との連携
・創作活動をしている作家の発掘、表現活動のサポート
・展覧会等の企画、開催
・出張カフェ、ワークショップ等、各種イベントの企画、実施
・コミュニティナースの啓発、養成
〈取り組みをスタートした時期〉
2020年8月6日(プレオープン8月5日)
〈取り組みをスタートしたきっかけ〉
筆談カフェのオーナーであり、法人代表の金子は、学生時代に手話を学んだことをきっかけに、ろう者との出会いがありました。そこから、障がい者福祉に興味関心が湧き、看護師として児童福祉施設等に勤務。ろう者を始め当事者とかかわる中で、「福祉」や「障がい」という言葉のもつイメージ(大変、キツイ…)と、実際の「オモシロさ」とのギャップを感じていました。偏見にも近い福祉のネガティブなイメージを、いつかポジティブに変えたい…。看護師として現場に立ちつつ、そんな風に考えていました。
ボランティアスタッフとして、「桐林館喫茶室」に入ったのは2018年の春頃。コミュニティナースとしての活動も意識し始めた頃でした。福祉や医療施設ではない場所から、福祉のおもしろさを発信することの意義も感じており、友人である、当時のオーナーも背中を押してくれていました。そこで、音声を使わないコミュニケーションを楽しむ、サイレントカフェ「静かな桐林館」をイベントとして実施しました。参加者の反応もよく、当事者(聴覚障がい者)と非当事者(聴者)が交わる空間でもありました。その後、何度か単発で開催した企画「静かな桐林館」を再構築、常時展開としたのが「筆談カフェ」です。
〈運営コスト〉
法人の立ち上げ(2020年6月)は、自己資金で着手しましたが、その後日本政策金融公庫より、運転資金の借り入れをしています。
2020年10月より、地域おこし協力隊に着任しました。アートをツールにした障害者福祉の向上をミッションとしており、桐林館喫茶室の運営もその活動として認められているため、任期終了(3年間の予定)までは、協力隊としての活動費が見込めています。
日々の収入としては、カフェの売上、イベント出店、物販(福祉プロダクト)、筆談カフェオリジナルグッズを展開。法人からの出向として、施設や関連企業などにスタッフとして入ることもあります。非常勤講師なども請け負っています。
小さな仕事や役割をいくつかもつことも事業継続の一つの策略と考えています。今後は助成金、行政の委託事業なども検討しています。
〈運営に必要な費用概算〉
40~45万円/月
〈運営資金の確保〉
自費、自治体予算、地域おこし協力隊活動費
〈これまでに苦労したことと、それをどのように乗り越えてきたか〉
2017年夏に、前オーナーが地域おこし協力隊となり、まちおこしの一環としてオープンしたのが「桐林館喫茶室」です。自家焙煎のコーヒーと共に、スパイスカレーのランチも人気のカフェでした。イベントも頻繁に開催しており、“人の集まる場”として定着していました。一転、前オーナーの協力隊の任期終了とコロナが重なり、休業することに…。
そのタイミングでkinariがコミットし、「筆談カフェ」としての再開することとなりました。しかしながら、これまでのイメージもあり、ランチを求めて来店する客も多く、“筆談カフェ”として認知されるには時間を要しました。そもそも、会話を楽しむ目的で利用することも多い“カフェ”が「音声オフ」という点で批判的な見方があったことも否めません。オープン当初は、せっかくお客様が来店しても、帰ってしまうことが度々あり、来店者数は伸び悩んでいました。
転機は新聞取材。なぜ“筆談カフェ”なのかという、ストーリーを知ってもらう機会を得たことで、他のメディアからも取り上げられました。そこから、筆談カフェと知って来店する人も増えていったように思います。まだまだ、乗り越えた…とは言い切れませんが、最近はSNS等でも広がりつつあり、新感覚の体験型カフェとして、認知されつつあるかなと感じています。
〈うまくいっていること、やってよかったと思うこと〉
よかったと思うことは、日々たくさんあります。
筆談の最大の特徴は、「会話のログが残る」こと。お客様たちの楽しい会話は、財産。“楽しかった、おもしろかった”という反応が多いことは素直に嬉しく思います。
これまで印象に残っているのは、「不自由が快適に感じます」という言葉と、「すばらしい、空間、時間、魔法にかけられたのかと思いました」「来られてよかったな」「帰りたくないな」という、若い男の子たちの会話。他にも、ろう者のお客様のリピート率が高かったり、「ここ(筆談カフェ)を開いてくれてありがとう」と手話で言っていただいたりしたことも、筆談カフェをやってよかったなと思えました。
それから、スタッフはリニューアル前から引き続き入ってくれているのですが、営業時間内はスタッフ同士も「音声オフ」。そんな特殊な環境でも、コンセプトを理解して頑張ってくれています。手話も少しずつ覚え、“筆談カフェ”を楽しんでくれている姿がとてもうれしく思います。
2021年春には、筆談カフェきっかけで「筆談Labo.」というユニットも生まれました。“筆談”を一緒に考え、行動してくれる仲間ができたことは本当にありがたいことです。メンバー3人のうち、2人には聴覚障害があります。当事者だからこそ、伝えられる“筆談”の魅力や可能性がある…私たちにしかできないことをしよう、という思いから、2021年6月「合同会社mojicca」を設立しました。これまでの「筆談Labo.」の活動を事業化し、さらなる発展を目指します。
※関連サイト
〈うまくいっていないこと、今、悩んでいること〉
経営という面では、なかなかシビアです。福祉を扱っていると、どうしても“お金”に対し、否定的な目が向けられがちですが、福祉だからこそ、きちんとビジネス展開していく必要があるジャンルだとも感じています。
筆談カフェは商品を売る、というよりは、体験という“価値”を売っています。ですから、以前のようにランチをたくさん出せば儲かる…というわけにもいかず、むしろ、体験型カフェとしての空間のクオリティを保つことと、お客様の回転数は反比例する部分もあります。どちらかといえば、ゆったりとした静寂の時間を過ごす場なので…。体験価値のクオリティを担保しつつ、マネタイズする方法が目下の課題です。
〈持続させるための仕組み、工夫〉
まだ1年にも満たない取り組みなので、持続への仕組みや取り組みは、今後の課題でもあります。先に述べた「筆談Labo.」が立ち上がり、動き出したことは、持続を後押しする一つかと考えています。“筆談”という共通項をもった仲間が集まったことで、これまで、1人のブレーンで考えてきたことが、3人になりました。それだけでなく、異業種・異文化でも意見交換ができることは、筆談カフェの発展において重要だと思います。
“筆談カフェ”を福祉や障がいのコンテクストで語るのではなく、その面白さや可能性を、きちんとブランディングしていく…という方向が、持続への一歩かと考えています。
〈今後のビジョン〉
法人として「福祉とアート」を扱う事業であると明示していますが、わかりやすいアート作品だけでなく、筆談や手話なども一つの表現=アートとして捉えています。
そのような観点でも、筆談カフェは事業のベースでもあります。先に述べた、ユニットができたことで、今後は“筆談カフェ”がよりブラッシュアップされることが期待されます。より多くの人に“筆談”のもつ可能性、音声に依らない体験を通じて、新たな発見を提供したいと思っています。
並行して進めているのが、アールブリュットの啓発、推進です。喫茶室内でも、障がいをもった方たちのアート作品を展示や福祉プロダクトの販売もしています。
最終的には、桐林館内で未使用のスペース(喫茶室部分以外に2室あります)もアールブリュットの展示やアートワークに利用するなど、アートをツールに誰もが交わることのできる空間を提供したいと考えています。アールブリュットには、そもそも“ありのまま”という意味があります。作家さんたちの“ありのまま”の作品を見てもらう場として、“ありのまま”の姿を残した、文化財の木造校舎はと相性がよいと感じています。
筆談とアールブリュット。アートを通じて、誰もがコミュニケーションできる、多様性のある場づくりを目指しています。
■事業名:筆談カフェ
■事業者名:一般社団法人kinari
■取材協力者名:金子 文絵(一般社団法人kinari代表)
■事業所住所:〒511-0428 三重県いなべ市北勢町阿下喜1980