〈コンセプト・特色〉
浦添市を沖縄で一番優しい街にしよう!
世代間交流を行える場、介護や福祉の新しい情報が得られる場、見るだけではなく体験型のイベントで住民や専門家だけではなく行政や企業など色んな人たちが一緒に福祉について考えられる場として、総合福祉展を開催しています。
会場を毎年変えており、市内の中学校区を回って開催しています。それは、学校だと地域の人たちが足を運びやすいと考えたからです。これまで小学校や中学校、特別支援学校の体育館などを借りて開催してきました。行政が始めたことではなく、民間の同じ志をもつ人たちでスタートした運動であることが一番の特徴で、そこから行政や社協も巻き込み、企業までつながっています。
浦添市の活動としてしまうと、本当に興味のある人しか来ない可能性もあります。広く市民全体に参加してほしいので、非営利でバリアフリーオリンピック実行委員会を立ち上げて、そこを主催として年に1回開催しています。
〈運営コスト〉
最初は、100社近くの地域の企業や介護、医療の協賛広告費で賄っていました。この協賛を得るのも、それぞれが通常の仕事に従事しながら行う必要があったので大変だったこともあり、3年程前より、浦添市で毎年実施されている「市民の夢応援プロジェクト(事業の趣旨に賛同する企業の寄附で市民が主体となったまちづくり事業計画に対して助成される)」に応募し、助成金をいただいて活動しています。協賛と助成金の集まった金額内で規模を調整しながら開催しています。
〈うまくいっていること、やってよかったと思うこと〉
一般の来場者に直接、車いすやおむつに触れてもらい、知ってもらうことで、介護のヒントになっていることを感じています。また、事業所の垣根を越えて若い介護職員同士が交流しながら成長しているな、と実感できることも、やりがいに感じます。
年々イベントの規模も大きくなり、県外や外国からも参加してくれるようになってきて、輪が広がっていることもうれしいです。教育機関や企業など、介護の仕事をしていてかかわりのなかった方と知り合い、たくさんの壁を乗り越えてきたことが、新たなつながりになっており、それぞれの仕事でも反映できていると感じます。
また、一般の参加者に対して、介護について知ってもらうことで、負のイメージを払拭する機会にもなっていて、働く人の自信にもつながる場所となっていること、参加している企業も介護や福祉の業種の人と深くかかわったことで親しみをもってもらえることがやりがいにもなっていると思います。
〈人材確保の方法や人材育成の仕組み〉
ボランティアとしてみんなで協力して運営しています。実行委員会には、介護事業者や企業、医師会や社協などさまざまな方が、仕事の一環として協力してくれています。また、参加する介護や医療などの事業所、企業だけではなく、中学生から大学生、専門学生や沖縄かりゆし長寿大学校(生きがいのある生活や地域活動の担い手を養成する目的で60歳以上が対象)、自治会の高齢者までが協力してくれています。
仕組みとして、イベント当日のボランティアの方には、役割をもって手伝いもしてもらいますが、担当の時間以外は会場内のブース見学や体験もしてもらうかたちにしています。ただ「参加してください」と広報するだけでは、自分に必要ないと思われ、参加してもらえないことも多いのですが、手伝ってもらうついでに空き時間にはイベントに参加してもらうことで、“自分ごと”につなげてもらうと、翌年には、新たな来場者を増やしてくれるきっかけにもなるので、人を巻き込む仕組みにはかなりこだわっています。
人は、役割をもつと参加しやすいのだと感じます。参加してもらうことで介護は特別に大変だというイメージから、当たり前で特別ではない普通の生活の中に、いろいろな人たちが一緒に生活しているということを一般の方にも知ってもらえます。活動を通して学生や子どもたちに地域について知ってもらうことが、新たな人材の育成や、地域づくりにもなっていると思います。
バリアフリーオリンピックは、イベントや活動ではなく、「運動」と捉えています。介護が普通のこととになり、認知症や障がいのある人たちが普通に生活できる地域ができれば、この運動は終わってもいいと思っています。福祉ではなく、生活の中で当たり前に優しい考えをもってもらうこと(生活の中に当たり前に福祉や助け合いが存在し、みんなに優しくできること)=教育だと思います。義務教育の中で、「地域」について教えるというのはどうでしょうか!。
柔軟性を養うことや、どんなことも受け入れられるようになることも必要だと感じています。このバリアフリーオリンピックへ参加する介護事業所では、職員が成長していることも実感しています。うらそえ介護福祉士会ができたことや、新たなコミュニティー活動のきっかけにもなっています。情報交換できる相手や、困ったときに相談にのってもらえる人が増えてきたことで、何があっても大丈夫と思えるようになってきたのではないでしょうか。
〈これまでに苦労したことと、それをどのように乗り越えてきたか〉
借りた中学校の体育館を傷つけてしまったことがありました!
ボランティア保険に加入していたので何とかなりましたが、とても迷惑をかけてしまいました。初回に、公立学校の体育館を借りる予定をしていましたが、選挙日と重なってしまい困ったことがありました。選挙管理委員会等に体育館以外で選挙ができないかと相談しましたが、結局は日程を変更しなければいけなくなりました。それでも諦められずに、体育館は階段などのバリアが多いこともあり、学校内の別の場所(ピロティー)を提案しました。
結果として、場所を譲ってもらうことはできませんでしたが、その後の選挙の場所は、提案した場所に変更となりました。高齢者や身体の不自由な人にとっても投票しやすい場所に移れたと考えたら、よい結果につながったと思っています。
さまざまな苦情が来た経験からも、地域で何かをするときには配慮する必要があることがわかり、翌年のイベントにつながりました。やってみないとわからないこともあって、その都度、対話をしながら修正していっています。かかわる人数が増えた分、方向性が違ってくる人も出てきましたが、核となる方向性は変えられません。「なぜバリアフリーオリンピックをやるのか?」を考え、共有していくこと、何回も確認していくこと。職場も業種も違う人が集まって行う分、対話の重要性を感じています。
〈うまくいっていないこと、今、悩んでいること〉
行政の壁はやはり感じています。でも、市長は毎回挨拶にも来てくれるし、バリアフリーオリンピックを応援してくれています。担当部署や担当者による温度差やスピード感の違いがあって、難しく感じることがあります。ただし、相手の立場もあり、変えることは難しいので、どうやって巻き込むかを考えています。
現在は、行政との距離感は近くなってきていると感じています。お互いに顔なじみの関係性になっていて、意見や話を聞いてくれるようになっています。介護、医療、教育、企業とはつながってきています。今後は保健センターとのつながりをもてたらと考えています。
また、参加する介護事業所が決まってきているので、もっと多くの事業所とつながっていきたいですが、人員不足という背景もあり、難しさも感じています。規模が大きくなるにつれて参加してくれる企業も増えています。参加のバリエーションも増やしたいと考えているし、準備段階での巻き込み方の工夫はもう少しできそうです。当日の参加は難しくても、できる範囲でのかかわり方を増やしていく等を具体的には考えています。
〈これからの事業としての方向性〉
方向性は変わらないのですが、戦略は変えていく必要があると感じています。
今年度は、コロナ禍にあって、今後の活動の仕方も含めて新しいかたちを模索していく必要性を感じています。これまでに、いろいろな企業とかかわってきている分、専門分野以外での相談ができる人が増えています。やりたいことを考えたときに、自分たちだけで考えると広がっていけなかった部分が大きく広がってきています。
コロナ禍にあっても不思議と閉塞感は感じないですね。みんなで考えることで、いろんな意見をもらえるので突破口はあると信じられるからではないでしょうか。バリアが増えるたびに新たな仲間が増えていくことも感じています。初回に広告協賛を断られた企業が、相手側よりかかわってくれるようになってきたり、初回のバリアフリーオリンピックにかかわってくれた学校の先生が、教頭や校長になっていて、別の学校で開催するときに助けてくれたりしています。
〈今の状況を最初からイメージしていたか〉
なったらいいなと妄想はしていましたが、こんなに早く広がるとは思っていなかったです。3年目から急に広がっていきました。やはり、タイミングなどはあるのかなと感じています。地域で暮らす人々が、地域の中に自分の居場所があると思えれば、世の中捨てたもんじゃないなと思います。昔のようにお互いに助け合うことができるようになればいいなと思います。やり方は昔のままではなく、お互い助け合うことの大切さを現代でできるようにしていければいいなと感じています。
また、浦添市の取り組みを他の地域のやり方で波及していってもらえれば、よりよい沖縄県になっていけるのではないかと思います。きっと同じように考えている人は多いのではないでしょうか。
■事業名:バリアフリーオリンピック
■事業者名:バリアフリーオリンピック実行委員会
■取材協力者名:友寄 利津子、古謝 早苗(バリアフリーオリンピック実行委員会創設者)
■活動拠点:沖縄県浦添市
■取材・まとめ:安保 奈緒(老人保健施設勤務)
■取材時期:2020年11月