FILL THE WORLD with DEMENTIA-FRIENDLY COMMUNITIES
TOYOTA FOUNDATION RESEARCH PROJECT
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対談 認知症と地域共生社会
丹野智文 × 繁田雅弘
(おれんじドア実行委員会代表) (東京慈恵会医科大学精神医学講座教授、
一般社団法人栄樹庵代表理事)
周りの人が、認知症の人を認知症らしくさせている
「普通」の人として、「普通」にかかわることが大切だ
認知症とともに生きる社会をどうつくっていけばいいのか――。
39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断され、認知症当事者としてピアサポートに取り組むとともに、当事者の立場からさまざまな活動を続ける丹野智文さん。大学教授で認知症専門医として診療・研究・教育、さらには医療の枠にとらわれず、認知症と社会のかかわりを追求している繁田雅弘さん。
このお二人の対話から、これから先の認知症に対する考え方、向き合い方などを考えていきたいと思います。(進行:佐々木淳)
気持ちを切り替えられた出会い
繁田 丹野さんが話したり書いたりしているものの中で一番印象に残っているのは、丹野さんが気持ちを切り替えた話です。診断を受けてからは大変だったと思いますが、その中で、とても元気に明るくしている人に出会って変わったと。
丹野 大学病院で若年性アルツハイマー認知症と診断されたときは、認知症自体が何だかわからず、ものすごく不安で眠れませんでした。一晩中、認知症についてネットで調べました。「30代 アルツハイマー」「30代 認知症」などと調べていったら、「認知症 寿命」という検索ワードが出てきて、それを見たら、若年性認知症は進行が早くて、「2年で寝たきり」「10年で亡くなる」と書いてあった。次の日、先生に聞いたら、「すぐにではないけど、寝たきりになる可能性はある」と言われて、もう2年後には寝たきりになるのだと思い込んでしまったんです。
退院後は、どこに行っても介護保険の話や重度の認知症の情報ばかりで、自分もそうなってしまうのかと、診断を受けてから1年くらいは毎晩泣いていました。一人になるといつも勝手に涙が出てきて、止まらなかった。
そんな中で、たまたま当事者である竹内裕さん※1と出会ったんです。その人は、認知症とわかってから6年も経つのに、「本当に認知症ですか」と聞きたくなるような人でした。「俺も1年半、家に引きこもっていたけど、元気になったんだよ」と言って、他の当事者の世話をしていました。
竹内さんと出会って私は、「2年で寝たきり」と思っていたけど、6年経っても元気でいられるんだ、自分のほうが若いのに、なんで自分はこんなウジウジしているんだ、と思いました。私よりも先に不安を乗り越えた竹内さんの存在はとても大きくて、自分もこの人のように生きたいと思ってから変わったんです。
繁田 丹野さんが変わったのは、もちろん竹内さんの存在もあるだろうけど、もともと丹野さんの中に変わっていく種というか、何か信ずるもの、小さな希望みたいなものがあったのではないかな。それがあるかないかの違いが、認知症の経過を分けるのではないかと思うんです。
丹野 でも、最初に家族の会に行ったのは、自分のためではなく、私が2年後に寝たきりになったときに妻が相談できるところを見つけてあげようと思ったからです。そのころは、妻と子どものことしか頭になかった。子どもに対して、親としての責任を果たせなくなると思ったのが一番辛かったです。
地域包括支援センターとか、どこに行っても「会社を辞めて介護保険を」としか言われなくて。「じゃあ、どうやって生活したらいいんですか」と聞いたら、「障害年金がある」と。幾らかと聞いたら5万円。それでは子どもの学費にもならない。なんなんだろうと思いました。私には、まだ小学生と中学生の子どもがいて、会社を辞めるという選択肢はあり得ませんでした。私は自動車販売会社の営業をしていたのですが、もうプライドは捨てて、土下座してでも仕事に戻らせてもらおうと思いました。
繁田 丹野さんの年齢で認知症になった人に対して、できることがわからなかったのかもしれない。
丹野 もっとも、フォルクスワーゲンの真っ赤なスポーツカーで地域包括支援センターの前に乗り付けて、「すいません、私は認知症なんですけど」と言っても誰も信用しないですよね(笑)。
※1 竹内裕さん:広島の認知症の当事者たちを支援する親睦会「たぬき倶楽部」の代表。59歳で若年性認知症と診断された当事者お客さんの顔と話した内容がわからない
丹野 実は診断される2~3年前から、徐々に何かおかしくなっていっているということは、自分でもわかっていました。
繁田 営業で、お客さんに車の説明をするのが仕事ですよね。
丹野 車の説明は100%わかるんです。ただ、前の日に2時間くらいその人と話したのに、次の日に来店されたときには覚えてない。その人の存在が自分の中からなくなっているんです。後輩から「丹野さんのお客さんですよ」と言われてもわからない。でも、お客さんには忘れたとは言えない。そんなときは、「車は何に決まりました?」と言うんです。そうすると「ポロに決まりました」とか言ってくれるので。まさに手探りで仕事をしていましたね。
繁田 すごいね、それでも売ったんだね。
丹野 お客さんとの関係性がちゃんとしていたからだと思います。でも、注文を受けた車が実際に届くと、「こんな車、頼んでない。どうしよう!」と思うんです。注文帳を見ると合っているけど、納車までがすごく不安で。それでもお店ではトップセールスマンでした。
繁田 それだけ丹野さんがすごかったということですね。
丹野 納車のときに部品を付けるのを忘れたりしたこともあったけど、それもお客さんと仲がいいから、「ごめん! ドイツから来るからこれだけ遅れてしまって」などとうそをつきながら何とかやりくりしていました。「ごめん」と言えば許される関係性ができていたから、幸いなことに大きなトラブルにはならなかったのです。
認知症を認める、認めさせる
繁田 病気のお話をしても、そのことを認めないでがんばっている患者さんがいます。私は、それも生き方の1つかなと思う。だから私は、それ以上は、例えば、検査でこうだから間違いないですよ、ということは言わない。あとはご本人が、時期が来たら病気を受け入れるだろう、ということに任せてもいいかなと。
でも、家族や周りの人は、病気だということをちゃんと認めてほしいと思っている。
丹野 そこなんですよね。なぜ家族が病名を突きつけて認めさせようとするのか。認知症なんだから私の言うとおりにしなさい、みたいなことを言う人が多いですね。「物忘れがあるよね、だったら一緒に工夫しよう」と言ってほしい。
私もピアサポートでみんなに、「これが認知症っていうのはないからね」という話をします。自分に起きていることだけ認めてもらえばいいと思っています。
繁田 血圧などのように数値としてはないからね。丹野さんは本当にその人の気持ちに添って話を聞くから、分かってくれた感もあって認めるのかもしれないけど、そういうときは本人の中では何が変わるのかな?
丹野 私はピアカウンセリングをしているのではなくピアサポートで、まずは私の状況を伝えます。
8年前、39歳のときに若年性アルツハイマーと診断されたけど、こうやって元気でいられるよと。こんな物忘れもあるけど、こう工夫することによって大丈夫だよという話をすると、みんな「俺も同じなんだよね」と言って認めるようになります。
自分だけじゃないと思うことが大きいのかもしれませんね。家族にも先生にも誰にも聞いてもらっていない自分の気持ちを、初めて話したという人が多いです。
繁田 丹野さんのところに来るまで聞いてもらっていなかったことを、聞いてもらったことで素直に自分の状況を認められるようになる。相手がどのくらい自分のことを受け入れてくれるかがわからないと話せないのかもしれませんね。
丹野 家族に連れて来られた人は、隣に家族がいるとなかなかしゃべりません、だから話を聞くときは家族を離すのです。そうすると話をしてくれて、話すと本当に変わります。
先日会った人は、「俺が認知症になって一番嫌だったことは、みんなに子ども扱いされることだ」と言っていました。家族は自分の思い通りに動かしたいように思います。一緒に話をすると隣で、「この人、何もできなくなりました」と言う。それは、私は悪口だと思う。奥さんの隣で、「うちの妻、最近ぶくぶく太って」と言ったら怒るでしょう。
繁田 病院の場合は、そういうのは家族が一生懸命正確に症状や情報を伝えようとして言うのかなと思うけど、本人の気持ちはね。確かに本人と家族の気持ちにはズレがあるね。
丹野 その原因は、診断直後に支援者が家族に伝えるのは介護保険制度に関することで、重度の認知症に関する情報を最初に植えつけられるからです。家族の頭の中には「徘徊する」「暴れる」といった情報があるから、一人で出かけさせられないとか、財布を持たせるのは危ないとか、そんなことばかりになってしまうのです。
やさしさ問題
繁田 丹野さんがどこかに「やさしさ問題」について書いておられました。これは危ないからしちゃいけない、というところが本当の意味での優しさではないという話です。
私は外来で患者さんと話をしていて、例えば、料理も混乱して失敗させたら落ち込むし、かわいそうだからと家族が全部やるのではなく、横で見ていればタイミングがわかるだろうから、途中で「あ!」と思ったら、「一緒にやるよ」とか「そこは僕がやろうか」と言ってあげるのがいいんじゃないと言ったりするんです。丹野さんの言っていることと違うのかな?
丹野 いや同じだと思います。だいたいの家族は、例えば、「味付けがわからない」と言っただけで、もう料理はしないでいいと全部を取り上げてしまう。また、小銭を払うのが大変だと言っただけで財布を取り上げちゃう。生活の一部分だけができないだけなのに全部を取り上げてしまうのは違うと思います。じゃあ、どうしたらいいかと言うと、一緒に考えればいいだけの話です。
私も、例えば、トースターでパンを焼き始めて、隣の部屋のテレビの音に気付いて消しに行った瞬間にパンのことを忘れて真っ黒焦げにしたことがありました。そのとき妻は、「また焼けばいいじゃない」と言ってくれたんです。
これが大切なんです。「焼いてあげる」ではなく。妻が焼いたら、もう次からやらなくなってしまう。だから、どうやったらうまくいくかを一緒に考えてくれる人たちが増えてほしいなと思っています。
繁田 家族に何がしてあげられるかをちょっと広い目で考えたときに、リスクを負って、我慢して見守ったり、本人の気持ちが出てくるまで待ったり、その待てる力を私たちが家族に与えるというのはおこがましいけど、そういうことをしたらいいのかな。
丹野 心配していいけど、信用してあげてほしいんです。認知症の人たちだって、何回もやっていれば新しいことも覚えるのに、新しいことは覚えられないという今までの常識があるし、認知症になると信用というものがなくなるような気がします。
繁田 認知症の人には昔の認知症のイメージの通りでいてほしいんだよね。きっと。例えば丹野さんがメッセージを送ったりすると、認知症じゃないんじゃないかと言われる。希望が欲しいのであれば、認知症になってもあんなに元気な人がいるんだから、まだまだ自分らしく生きられると思えばいいのに、って思ってもらえればいいのに。なかなかそうならない空気があるのが不思議です。
丹野 みんな私に認知症らしくしてほしいんですよね。7年前、私が講演するとき、認知症の人を人前にさらすなんてと言われていました。それを完全に無視してやってきた結果が今です。
最初に講演したときは、私が原稿を読んで間違えたらすぐに教えようと、家族会の人が背後霊のように後ろに立っていました。今思えば大きなお世話だけど、そのときはそれが当たり前の世界だった。ここ数年で変わってきてはいるけど、まだまだですね。
支援が必要なのは誰か
丹野 これを言ったら怒られるけど、家族は、自分が認知症の介護家族で、こんなに自分の時間を使ってがんばっているということを認めてもらいたくて、当事者ができないことばかり話すんですよね。できないことは一部なのに。
繁田 今までは、本人に説明してもわからないだろうということから家族寄りになっていたのかもしれない。今は、本人寄りにぐっと揺れて、本人に行き過ぎているくらいの人もいるけど、相変わらず古いままで全然変わらない人もいる。意外と先進的なことをやっている人は本人寄りに来ている。でも、もう少し戻るくらいがいいのかなと私は思います。だから、私は「ちょっと本人寄り」くらいです。
丹野 介護職やソーシャルワーカーといわれる人たちが、まだまだ本人寄りじゃないですね。最初に挨拶するのも、名刺を渡すのも、説明するのも、みんな家族にです。支援を必要としているのは本人のはずなのに、みんな勘違いして家族が支援を必要だと思っている。支援の最初の軸がズレているからおかしくなっていくんです。
繁田 もっと前は、本人に説明もせず、気が付いたら施設の中にいたみたいなことがありました。それが今は変わってきて、本人と考えるというところをやろうとしている人たちが出始めていますね。
丹野 当事者と一緒に施設を見に行くこともあるんですが、先日同行した人は、いくつかのデイサービスを見て全部嫌だと言う。B型就労※2に行ったら「ここならいい」と言って結局、そこで働き始めたんです。自分で自転車まで買ってきて、毎日行っています。だから、自分で決めることが大切です。でも、みんなデイサービスに行かせることが前提になっていて、どこのデイサービスを選ぶかという話だけです。
もっと本人と話をして、何をやりたいかを聞いて、囲碁と言ったら囲碁教室に行けるように考えてくれるのが、本当はソーシャルワーカーの仕事なのではと思うんです。すべてデイサービス前提ではなくて。
でも、みんな自分のできる範囲でしか考えない。例えば、高校の先生でサッカーを教えていた人が60歳くらいで認知症になったんです。何をやりたいかと聞いたら、サッカーをやりたいと言う。そしたら、支援者の年配女性たちが「私、できるかしら」と言ったんです。サッカーの先生を相手に素人ができるわけないじゃないですか。自分たちが相手をしてあげるにはどうすればいいかではなくて、他と連携をして、地元のサッカーチームなどとつなげることを考えればいいんです。
繁田 たとえ本人が無茶なことを言ったとしても、まずは聞ける強さが必要だと思います。
※2 B型就労:就労型継続支援B型の略称。通常の事業所に雇用されることが困難な就労経験のある障害のある方に対し、生産活動などの機会の提供、知識および能力の向上のために必要な訓練などを行うサービス。(出典:WAMNET https://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/syogai/handbook/service/c078-p02-02-Shogai-22.html)どれだけ普通にできるか
丹野 私がスマートフォンを使っていると、周囲からは「すごいね」って褒められます。「スマホを使えるなんてあり得ない」と言う人までいる。あまり言われると、人前でスマホを使いたくなくなります。だから結局、周りの人が認知症の人を認知症らしくさせてしまうのではないかと思っています。
繁田 私は、「認知症の人に話すときには目の高さを合わせて、ゆっくりとわかりやすく話をする」というのが好きじゃあない。でも、それが日本中に蔓延しているし、教育用のビデオもある。普通でいいのにね。
丹野 ピアサポートをやっている関係でデイサービスにもよく遊びに行くんですけど、知っているおばあちゃんがいっぱいいるから、後ろから「だーれだ?」ってやるんですよ。これ、教科書では絶対駄目なことですよね。でも、おばあちゃんたちはケラケラと笑ってますよ。
繁田 そこに信頼関係があるかどうか、人と人とが向き合って付き合っている、気持ちがつながっているかどうかという本質的なところですね。それがないので、みんな形でしか考えられなくなっているんですね。
丹野 信頼関係もないのに、「困っていることは何ですか」と聞かれても言うはずないじゃないですか。ピアサポートでは、最初は関係性づくりです。
たとえば、出身県が同じだったり、出身校が同じだったりすると、初めての人でも自然と親近感が湧くでしょう。それと同じように、認知症というキーワードでも親近感が湧く。それで関係性ができてくるから、私に対して、家族には話せないことも話してくれるのだと思います。死にたいと思っていた人たちが私の周りでは前向きになっています。
繁田 私は今、どれだけ普通に話せるかということに挑戦しているんですよ。本人にとっては普通にというのが一番ありがたいのではないかと思うんです。人前で腫れ物に触るようにされたら恥ずかしいし、そんなことする必要もない人もたくさんいる。認知症の人に対してこうすべきだというのは、まさに認知症に伴う偏見ですね。どれだけ普通にできるかが大事。
普通がいいとは言っても、配慮がなくていいということではない。やはり工夫が必要です。失語の症状があると言葉の返りが悪いけれど、ゆっくりと話す必要はない。だけど、間を開ける必要がある。言葉が入って理解をして、次の理解に行くためにです。それがわかっていれば、こちらが間を置いて話しているだけの普通の会話です。それが、私たちが学ばなければいけないことだと思います。
世の中で言われる合理的配慮というのがそれで、やはり配慮は必要です。だけど、その配慮をいかに最小限にしながら、その人と時間を共有できるかというのが、最近の私のテーマです。認知症だけでなく、障害や他の病気もそうだし、性的な個性なども理解したうえで、どれだけ普通にいけるかということです。
丹野 そうですね。会話も、支援者は一方的な質問ばかりで、普通の対話ではなく尋問になっていたりするケースが少なくない。だから関係性がつくれない。普通にしてくれる人が増えて、安心して認知症になれる社会にしていかなければいけないと思います。
繁田 私が今まで会った中で、「安心して忘れていいよ」と言った家族がいました。最高の家族ですよね。
認知症がこれだけいろんなところで取り上げられたときにみんなが求めたのは医学の知識だったけれど、その前に、認知症の人に人間として向き合い、その人にどう配慮するか。
認知症の人が、実際の生活の中でどう困っているかは本当に人によって違うので、それを自分で見て、認知症のことはちょっと脇に置いておいて、その人と付き合うというだけの強さを持つことが必要だと思います。そうなるためには時間も必要ですね。
どんなサポートが必要かは本人が決める
繁田 次のステップに丹野さんが行くとすれば、私もそうだけど、家族にどう変わってもらえるかというところですね。丹野さんと私で共通しているなと思うのは、これをやりたいということをどう本人に言わせるかということです。それを言えたときに、「できたらいいね」とそれを共有するだけで強さは出るような気がします。
丹野 本人が変わって元気になると家族がすごく変わります。だから、まず本人に変わってもらおうと思っています。
やりたいことは、実現しなくてもスタート地点に立つことが大切です。私は富士山の山登りと言うのですが、スタート地点に立つだけでも全然違うし、成功しなかったら、次また目指そうってやればいい。それを中途半端に、小学生でも登れる山に登って、「わーすごかったねー」とみんなやるけど、それは馬鹿にしているとしか思えない。
挑戦することで成功体験は生まれるのに、成功体験を生むから元気になるのに、失敗しないように先回りされるから成功体験が持てない。ワクワクすることが必要なのに、認知症になると諦めなければならない。でも、リスクも負いながらも自分で決めことが一番、認知症にとって大切なことなんです。
繁田 やりたいことをやる予定があるのは、未来があるということ。それがあることは大事です。認知症のサポートで一番大事なことは、どんなサポートが必要かを本人が決めるのをサポートするということですね。ほとんどの家族は全部背負おうとするけれど、背負おうとしていることが違う。ただ、「家族がついていたのにどうして」となるから、そこでも社会が変わる必要がある。社会もリスクを負えるかどうか。全部が変わっていく必要がありますね。
丹野 そうですね。そして、安心して認知症になれる社会になってほしいです。
丹野智文
おれんじドア実行委員会代表
たんの・ともふみ●大学卒業後、県内の自動車販売会社に就職。2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。14年に全国の認知症の仲間とともに国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」を設立。15年から、認知症の人が不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月開催。
繁田雅弘
東京慈恵会医科大学精神医学講座教授/一般社団法人栄樹庵代表理事
しげた・まさひろ●東京慈恵会医科大学附属病院で物忘れ外来を担当するほか、研究や専門医やかかりつけ医の認知症診療に関する教育も行う。また、神奈川県平塚市の実家にて認知症の啓発活動などを地域住民と共に行う「SHIGETAハウスプロジェクト」(一般社団法人栄樹庵が運営)を主催する。日本認知症ケア学会理事長。
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