FILL THE WORLD with DEMENTIA-FRIENDLY COMMUNITIES
TOYOTA FOUNDATION RESEARCH PROJECT
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トヨタ財団国際助成プログラム
アジアの共通課題と相互交流:学びあいから共感へ
政策提言公開(国際)シンポジウム
認知症に着目して「地域共生社会」を再定義する
2021年5月30日、2018年度トヨタ財団国際助成プログラム「認知症に着目して『地域共生社会』を再定義する」の一環として、政策提言公開(国際)シンポジウムが開催されました。シンポジウムは、日台の先進事例4例の報告と、先進事例実践者に8人の研究プロジェクトメンバーを加えたディスカッションの2部構成で行なわれました。ここでは当日行われたオープニング・リマークスと先進事例報告、ディスカッションとそれを受けた政策提言を報告します。
〈構成〉
■日本・世界における認知症ケアのこれまでの潮流
医療法人社団悠翔会理事長・診療部長 佐々木淳■日本における認知症と地域共生社会の先進モデル①
Community Nurse Company株式会社 青山美千子■日本における認知症と地域共生社会の先進モデル②
一般社団法人えんがお代表理事 濱野将行■日本における認知症と地域共生社会の先進モデル③
Happy Care life株式会社代表取締役 中林正太■台湾における認知症と地域共生社会の先進モデル
耆樂股份有限公司 陳柔謙■ディスカッション
超高齢社会を豊かで幸せな未来にするために 5つの政策提言をまとめる■オープニング・リマークス/日本・世界における認知症ケアのこれまでの潮流
「認知症になってしまった」ではなく
「認知症になるまで長生きできた」が正しい解釈に
――医療法人社団悠翔会理事長・診療部長 佐々木淳
2030年、世界の認知症患者は7600万人に
「認知症に着目して、地域共生社会を再定義する」というテーマで研究を開始したのは2018年のことでした。当初、日本と台湾とシンガポールという、医療制度の異なる3国での取り組みを互いに学び合うという目的でスタートしましたが、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、物理的な交流は十分に行えない状況となりました。そこで、研究プログラムの一部を変更し、それぞれの国での先進事例の収集をするとともに、オンライン形式のシンポジウムを通じて、それを相互に学び合えるスタイルに変更しました。
この研究を始めた背景には、認知症の急激な増加があります。今から約10年後の2030年、世界で7600万人の方が認知症になると予測されています。つまり、世界の人口約76億人(2017年)の約1%が認知症ということになります。しかも、この数は増え続け、2050年には1億3500万人、現在の日本の総人口を超える認知症の方々が世界にあふれることになります。
当然日本も例外ではありません。2060年、「日本の高齢者に占める認知症の人の割合」(厚生労働省研究班データ)は34.3%と試算されています。同年の日本の高齢化率は40%と推測され、40%のうちの34%ですから、全人口の13%、実に日本人の7人に1人が認知症になります。
このように、他人事とは言えない現実がありながら、日本における認知症に対する理解はまだまだ足りません。「中枢神経系の怖い病気で人格が崩壊する」「何もわからなくなって何もできなくなる」「お世話をする人にも迷惑をかけてしまう」「認知症になったら人生終わりだ」と捉えている人が圧倒的に多いのが実情です。長生きしていればいつかは認知症になります。こんな価値観のままでよいのでしょうか。
認知症は病気ではありません
そもそも、認知症は病気ではありません。「一旦正常に発達した知的機能が持続的に低下し、複数の認知障害があるために社会生活に支障をきたすようになった状態」のことであって、病気ではないと知っておく必要があります。
認知症の原因となる疾患があり、それによって認知障害が生じていても、本人は社会生活が継続できていて、周囲も困っていなければ、それは認知症とは言わないのです。
したがって、認知症を規定しているのは、「その人の脳の病理学的所見ではなく、その人が暮らす社会環境そのものだ」という言い方ができます。となると、「障害」という概念と通ずるものがあるかもしれません。
国や調査機関によって数字はさまざまですが、認知症の原因はアルツハイマー病が最も多いと言われ、50~70%になります。続いて、脳血管疾患が20~30%、レビー小体が10~25%と言われています。そして、前頭側頭型が10~15%。それ以外にもさまざまな疾患があり、脳の疾患だけではなくて、内科疾患でも認知機能が低下することはあります。
認知症の65%は予防が不可能
病気が原因で認知症が起きているなら、病気の予防や治療をすればいいのではないかとなりますが、認知症のリスクは生まれたときから始まっているとの研究結果もあり、遺伝的素因として、遺伝子の異常があると認知症になりやすいことも知られています。
さらに、幼少期の教育レベルが認知症の発症に関係しているとの報告もありますし、中年期の難聴や肥満、生活習慣病などが認知症のリスクになることもわかっています。
ライフスタイルでいうと、喫煙、うつ、身体機能の低下、社会的孤立が原因になって認知症になるリスクを高めると言われています。喫煙や肥満などは予防的介入ができますが、認知症の65%は予防が不可能だと言われています。
また、予防的介入ができたとしても、その人たちが長生きをしていつまでも認知症にならないかといえば、それはもちろんわかりません。認知症は脳の老化という側面もあるからです。
脳の中に出てくる異常はさまざまあります。認知症の人たちに認められるものとして、最も有名なのはアミロイドβの蓄積やシナプスの機能障害、タウタンパク質などがあり、症状が出る前からいろんなものが脳に溜まっていくのですが、認知症ではない人は問題ないかというとそうではありません。
お年寄りはいろんな病気で亡くなります。遺体を解剖させていただいて、脳を調べてみると、認知症ではない方の脳にもいろんなものが溜まっています。しかし、これが溜まっているからといって必ずしも認知症というわけではないようですし、溜まらなければ認知症が防げるかというと、そうでもないかもしれません。
いずれにしても、脳はとても複雑な臓器で、加齢とともにどんどん機能は低下していきますが、一番大事なことは、「ここからが認知症で、この手前は認知症ではない」という境界線はなく、脳の機能は階段を落ちるように低下するということです。
たとえば、脳卒中であれば急激な機能低下が起こりますが、それ以外の病気ではおだやかに低下していくので、認知症はあくまでグラデーションの状態にあるということです。
がんの場合なら、がん細胞があるかないかではっきりしますが、認知症の場合は必ずしもそうではない。そして、このグラデーションは加齢とともに徐々に色が濃くなっていくので、どこからが病気でどこからが老化なのかの線引きも難しいのです。それどころか実は、長生きすれば誰もが認知症になるのです。
95歳を超えると8割が認知症に
2013年の厚労省の研究班の推計によると、85~89歳の日本人は4割が認知症、90~94歳の6割が認知症です。95歳を超えると8割が認知症で、残りの2割も軽度認知障害ということになります。つまり95歳を過ぎたら全員が認知機能障害なのです。
これを病気と呼んでいいのでしょうか。基本的に病気や障害とはその人口集団における少数派を指す言葉です。たとえば、85~94歳の人口集団ですと4~6割、2人に1人が認知症なわけですから、これを異常というのはおかしいでしょう。
逆に言うと、高齢者の認知症は正常であり、高齢になっても認知機能が良好に保たれている人の方がバリアント(変形)だと考えられます。加齢に伴って認知機能が低下していくのは生理的な現象として我われは理解しておくべきで、それを何とか防ごう、治療しようとするのではなく、もちろん予防は重要ですが、「年齢とともに認知機能が低下していくのは普通のことだ」という認識をもつ必要もあるのではないでしょうか。
私の尊敬する大先輩の医師たちも、最近、認知症に対して非常にポジティブな発信をするようになってきています。ご自身に認知機能低下の兆候が出てきている方もいます。たとえば、「長谷川式認知症」スケールを作られた長谷川和夫先生は、自らが認知症になられて「初めて認知症のことがわかった」とおっしゃっています。
「認知症になってしまった」ではなく、「認知症になるまで長生きできた」というのが、正しい解釈なのかもしれません。
言い方を変えると、日本は認知症になるまで長生きできる人が増えているということかもしれません。ミャンマーには認知症の人はほとんどいません。平均寿命が60歳だからです。認知症がない国とは、認知症になれるまで長生きできない国なのかもしれません。
認知症になると細かいことには煩わされなくなる。あるいはがんになって同じステージでも痛みを訴えない方が非常に多くなります。そして、死に対する恐怖が小さくなることも在宅医療をしていますと、日々経験します。
歳とともに体が弱って、いろんな病気が出てきて、死が近づいてきます。明瞭な認知機能があることは、もしかすると辛いことがたくさんあることなのかもしれません。一方、認知症だと、日々感謝と喜びの中で生きていくことができるかもしれません。これを「老妄の恵み」と表現された先生がいらっしゃいました。
在宅医療と介護保険だけではうまくいかない
人間は、成熟とともに身体の機能が低下して認知症になっていきます。認知症は人間として成熟していく一つのプロセスと考えれば、社会のほうが考え方を変える必要があります。
「人生の成熟」を治す、防ぐのではなく、「私たちがいずれそうなる」ことに備えておくことのほうが重要です。つまり、私たちが社会生活を送っていく上で支障を感じないような社会をつくることが重要だと考えます。
では、日本の認知症の社会福祉政策はどのように変化してきたのでしょうか。
認知症という言葉に改められたのは2004年、それまで私たちは「痴呆症」と呼んで蔑んでいたのです。一昔前の日本の認知症の人たちに対するフォーマルサービスは精神病院と特別養護老人ホームであり、かつてはこの2つに収容隔離されていたのです。
もちろん特養は今でもきちんとその役割を果たしていますし、精神病院も必要な社会資源かもしれません。ただ、人生をよりよいものにしていくには、やはり新しいケアが必要だと、介護保険制度や在宅療養支援診療所などが整備されていきました。
しかし、ここに来て「がんばってきたけど、在宅医療と介護保険だけではなかなかうまくいかない」というのが現場における実感だと思います。そのような中でインフォーマルサービスとして、国がバックアップする認知症サポーター制度ができました。認知症カフェに公的予算が一部つけられ、全国展開されながら社会に対する認知症の認知を変えていくという取り組みも徐々に行われてきています。
暗い未来を明るい未来に変える
では、この先どうするのか。2008年に「地域包括ケアシステム」という概念がつくられましたが、この概念は、「医療と介護の連携」という文脈がメインで、医療と介護だけで認知症を何とかしようとするふしがありますが、それでは無理だと私たち医療介護専門職は実感していますし、おそらく当事者の方々もそう強く感じていると思います。
その中で、考えられてきた新しい概念が「地域共生社会」です。認知症の人だけではなく子どもも1人親も地域には困っている人が大勢いる。そうした人たちを含めて地域の人たちが支え合う社会、支える人と支えられる人を分けるのではなく、みんなが支え合える、そんな心地よい社会をつくろうというのが地域共生社会の概念です。
ただ、「地域包括ケアシステム」が地域共生社会に発展するのは無理だと思っています。医療と介護だけでは生活はもちろん成り立たないし、生活は基本的にはインフォーマルです。私たちの生活そのものを支える地域やインフラが大事なのではないかと考えています。
これについて、社会保障の限界は今さら言うまでもありません。何かあったら国や自治体に「やってくれ」というのがこれまでの日本国民でしたが、もうお金はありません。私たちは自分たちで、一見すると暗い未来を明るい未来に変えていかなければならないのです。もっとも、「やってやれないことはないぞ」という、地域共生社会の先進事例は全国にたくさんあります。それらを紐解いてみると地域共生社会の実現にはいくつかの条件があることがわかります。
「先進事例の調査研究」と「開発提案の普及啓発」
一つはそれが居場所になっていることです。そして、その居場所は単に場所があるというだけではなく、そこにつながりが生じるそんなネットワークのハブになっていて、そこには何らかの対価の回流があることです。
これまで対価というとお金、お金というと医療保険や介護保険となっていましたが、そうではない形でお金が回っているところもあれば、お金ではなく感謝が回っているところもあります。結果として、対価は健康として、あるいは生き甲斐として返ってくるところもあります。
何が対価かという、新しい定義も必要かもしれません。こういったものが循環していく中で新しい文化がつくられていくわけで、そこまでいけば「地域共生社会」だと思います。
私たちが、トヨタ財団国際助成プログラムの援助で行ってきた事業は大きく2つあります。一つは、「先進事例の調査研究」で、日本国内180事例、台湾から30事例を集めて研究してきました。今回、シンガポールが参加できず、日本、台湾の2地域のフィールドワークと研究課題の抽出でしたが、これを汎用性のある地域共生社会モデルの開発提案につなげていきたい。そのために、このプロセスの一部を皆さんと共有したいと思っています。
もう一つは、ここで開発提案したものを普及啓発していく、という事業です。
自治体や行政機関だけではなく、「地域で何かやりたいな」と思っている人たちが、これまでの既存事業あるいは医療介護事業ではなくて、そこに分類不能な新しい事業を創出していく。そういうことをバックアップできないかと考えています。
学び合いの中でお互い成長していく、ということも大事だと思っています。高齢化は日本だけの問題ではなくて、全アジア、全世界で同時進行する課題です。特に家族観死生観の近いアジアの国々が連携することは非常に重要だと思っています。
■日本における認知症と地域共生社会の先進モデル①
人とつながり まちを元気にする
――Community Nurse Company株式会社 青山美千子
日常のなかで健康に働きかける存在
私は看護師として病院や訪問看護という在宅の現場で働き、現在はコミュニティナースの実践講座の修了生として島根県雲南市にある「みんなのお家 雲南ラーニングセンター」を拠点に活動しています。コミュニティナースとは、職業や資格ではなく、地域の人の暮らしの身近な存在として日々の「うれしい」や「楽しい」、心と体の健康と安心をまちの人と一緒につくっていく実践のあり方です。
私たちの活動は「誰もが誰かの心と体の健康を応援できる社会を目指して」というビジョンのもと、「人とつながり、まちを元気にする」というコンセプトに基づいて 、暮らしの中から心と身体の健康を応援していく実践を重ねています。
もともと実践を重ねて広げた知見を、コミュニティナースの活動に興味があるという方や、自分たちの地域でも実践したいという方に対して、研修を通してシェアする”コミュニティナースプロジェクト”という育成講座を行っていました。
現在は400人を超える修了生が、ガソリンスタンドやスナック、シェアオフィスなどの地域住民の方が集まる場所にいたり、コーヒーの屋台を引いて歩いたり、ママさんのランチ会やスポーツのイベントを企画したりといった、暮らしの中での出会いのきっかけをつくったりしながら活動を展開しています。こういう活動を通じて、身構えられてしまう専門家ではなく、その人にとって一番信頼できる「身近な人」になることで、元気なうちから心と身体、社会の健康に働きかける活動を全国各地で広げています。
また、健康的なまちづくりを推進している企業や自治体とも連携して、まちのみんなと協働してコミュニティナーシングを広げていくモデルづくり もしています。
コロナ禍では、介護になる前の元気なうちからライフスタイルとしてご利用いただく「ナスくる」というサービスモデルの開発も始めました。
まずは地元に帰れなくなった息子さん世代の方を対象にご契約し、親御さんのもとにコミュニティナースがうかがい、生きがいを高めていく関わりやつながりづくり、併せて体調のチェックを行います。また、ご両親の元気な様子をアプリケーションで息子さん世代の方に届け、繋がっている息子さんたちにも笑顔が広がる取り組みとして進めているところです。
編み物を通して人とのつながりをつくりたい
健康の定義は「身体的健康」「精神的健康」「社会的健康」の3つとされますが、人とのつながりの低下が、心身の健康に強く影響を及ぼすということは、このコロナ禍で多くの人が実感しているところだと思います。
私たちコミュニティナースは、長らく社会的健康の担い手だった「まちにいる、おせっかい焼きの人たち」の取り組みを、「健康おせっかい」と呼んでいます。
雲南ラーニングセンターでは、まちのおせっかい焼きの人たちと出会い、すでに町の中にある健康おせっかいを掘り起こしながら、住民と一緒にチームコミュニティナースをつくり、社会的健康に重点的に働きかけるまちづくりのモデルとしての実践を手掛けています。
このモデルは「地域おせっかい会議」と名付け、事務局は雲南ラーニングセンターのコミュニティナースを中心に担っています。
これは住民の方の健康おせっかいな思いを持ち寄る/応援する/ネットワークすることを事務局を中心に企画運営するものです。そうすることで、応援された健康おせっかいがどんどん形になっていきます。健康おせっかいは「あの人にこんなことをしてあげたい」という社会的健康の資源そのものなので、それらをどんどん形にしていくと喜びも広がり、健康も高めていくことができる、地域共生社会のインフラ、つまり生活を支える基盤として貢献できると考えています。
その取り組みの1つとして紹介したいのが、「編みテロ!in島根」です。
これは編み物を通して楽しく人とのつながりをつくりたいという学校の先生が、おせっかい会議の活動に共感され、「私も編み物を通して健康おせっかいをやってみたい」と実際におせっかい会議にそのアイデアを持ち込み、たくさんの人の応援を得て実行に移されたものです。
10㎝四方の編地を繋ぎ合わせて、みんなで大きな作品を作っていくという取り組みです。取り組む中で、この取り組みに共感した住民や民生委員の方が、繋がりのある方の中から認知症の方を連れてきてくれました。そのかたは、非常に編み物がお上手で、認知機能の衰えはあれど編み物なら楽しく皆さんとの活動をできるのではないかという粋なお誘いでした。雲南ラーニングセンターでは、その認知症の方からも編み物を教わり合うなど、一緒にすばらしい時間を過ごすことができました。
その他にも、外出が少なくなってしまった今、家で何か楽しんでできることはないかと模索されている子育て世代のママさんたちなど、いろんな方たちとも繋がり合い、お互いを知り合えたすてきな取り組みになっています。
雲南ラーニングセンターでは、コミュニティナーシングを行う人材の発掘と育成も手がけています。また実践の先に生み出される便益を評価することも行なっています。
私たちは、まちの人たちを“ケアする対象者”として捉えるのではなく、住民の皆さん自身も「心と身体の元気を生み出せる主体者」として、共に実践していくことを目指しています。
こういった取り組みを続けながら、社会課題の先進地である島根県雲南市から、これからの共生社会のあり方について、みなさんと考えていきたいと思っています。
■日本における認知症と地域共生社会の先進モデル②
誰もが人とのつながりを感じられる社会をつくる
――一般社団法人えんがお代表理事 濱野将行
「困った時に頼る相手がいない」という現実
一般社団法人えんがおは、「誰もが人とのつながりを感じられる社会」を目指し、多くの人や企業と連携しながら高齢者が孤立しない社会づくりのためにさまざまな活動を行っています。
内閣府の調査によると、日本の高齢者は、▽約30%が「つながりがない」と回答、▽独居高齢者の多くが「生活の困りごとを頼む人がいない」、▽独居高齢者の10人に1人が、会話頻度週に1回以下――と、孤立が進んでいるというデータが出ています。実際、私も「週に1度も人と会えない」という方々と会う中で、話し相手はもとより、困った時に頼る相手がいないという現実を見てきました。
こうした方々に対して、私たちが行っている事業の一つが、高齢者の家に訪問して困りごとを聞く訪問型生活支援事業です。この事業を展開する中で、「寒いけど自分では布団を出せないから、寒いまま我慢していた」「電気が切れたけど変えられないから、暗いままで過ごしている」「とにかく話し相手がほしい。ずっと家で寝転んでいる」といった声を聞きました。
私たちの訪問型生活支援事業は、そうした高齢者の方々のちょっとした困り事への対応ですが、大きな特徴の一つは、中学生から大学生まで学生を連れていくということです。年間延べ1000人ほどの学生が困りごとに対応している間、高齢者の話を聞いたり、おばあちゃんに恋バナをしたり、おじいちゃんに悩みを聞いてもらったりしています。
支援する側とされる側という関係性ではなく、つながりの中でそのおばあちゃんは何が得意なのか引き出して、例えば掃除が苦手だけど料理が得意だったら、掃除をする代わりに地域のイベントで料理をしてもらうなど、訪問型生活支援事業では孤立をなくすだけでなく、高齢者に「地域のプレーヤー」になってもらうことを大切にしています。
「世代を超えたつながり」にいかに価値があるか
訪問型生活支援事業のほか、世代間交流事業として、地域の空き店舗や空き家を使って地域サロンも運営しています。地域サロンは1階が地域交流スペースになっていて、日中高齢者が集まってみんなでごはんを食べ、普通にお茶を飲む場所になっています。一方、2階はWi-Fiとコンセントがある学生の勉強場所になっていて高校生は1日100円、大学生は200円で使えます。ここに勉強しに来た学生は1階で高齢者と一緒にお茶を飲んだり、お弁当を食べたりもします。
その中で、学生から聞こえてきた声は、「あのおばあちゃんが名前覚えてくれたんです。それがすごくうれしい。だから毎日ここに来ます」というものです。日本の若者には、自己肯定感が低く、自分のことを好きになれず、自分に自信がない人が多い中で、そうした声を聞くと、「世代を超えたつながり」にいかに価値があるかを日々実感させられます。
緊急事態宣言以降、要介護の申請が急増しているというデータもあり、コロナ禍でつながりがなくなって、身体機能や認知機能が一気に落ちてしまったケースは全国的に頻発しているようです。やはりコロナ対策をしながら、どうつながりをつくっていくかが大事だと日々感じます。ただ、介護予防は運動していればいい、居場所はお茶飲み場があればいい、というわけではなく、いかに「役割」があるかが大事です。そこに役割があって初めて人の居場所になると思うので、いかに集まってくれた人たちにいろんな役割をお願いできるかが、特に高齢者の文脈では大事だと思っています。
地域サロンには認知症の人もいらっしゃいますが、その人が地域でプレーヤーになれるようにする。それが私たちの本当に大事にしている部分です。
地域の人とグループホーム入居者が一緒にヨガを
この地域サロンは、年間延べ3000人くらいの人が来てくれていますが、徒歩2分圏内にある6軒の空き家と空き店舗を活用して、無料宿泊所やシェアハウス、シェアオフィス、地域食堂、障害者向けグループホームなどを展開しています。
そして、障害者向けグループホームやシェアハウスの入居者、あるいは子どもの遊び場に来た人が日常的に分断なく関われるコミュニティづくりが、私たちの活動です。障害者向けグループホームに入居している方が地域サロンに来て、日常的に高齢者とお茶を飲み、グループホームの一角に地域の人が集まって入居者と一緒にヨガをする。試行錯誤しながらそんな景色づくりを目指しています。
高齢者が幸せでないと若者が一生懸命生きない
認知症の方も、子どもと一緒にいると、すごく一生懸命教えたりします。精神疾患、知的障害を抱えた方も、「人の役に立ちたい」という思いがとても強い。今の日本社会は、子どもは子ども、大人は大人、学生は学生、障害者は障害者、高齢者は高齢者と分断されていますが、「分断」すると苦手が「できない」になってしまいます。それをごちゃまぜにすれば、得意なことでお互いに貢献し合えます。互いに得意なことで貢献し合える関係性づくりが、もっと地域に増えるべきであり、そのために私たち自身がそれをつくるようにトライしています。
いつも意識しているのは、「いかにそこに住む人の生活に選択肢を増やせるか」です。さまざまな事業を展開するなかで、「人とのつながり」がすべての社会課題を生んでいるとの想いが強くなりました。昔だったら、ちょっと貧しい家庭があっても、地域のおばあちゃんが差し入れをしてくれたり、ごはんをつくってくれたりすることがありました。虐待も早期発見できたはずですし、いろんな格差も、地域でつながっていて誰かが助ければ、それほど目立たなかったはずです。
そのようなつながりがなくなったことで、さまざまな社会課題が生まれ、その結果、子どもも親も高齢者も障害を抱えた方も外国の方も、いろんなところに弊害が出ていると感じます。
僕らが高齢者にこだわるのは、高齢者は幸せでなければいけないからです。
高齢者が笑っていない社会は、景色の汚い山登りみたいなもので、誰も登りたいとは思いません。高齢者が笑ってないと、「どうせ一生懸命生きても、孤立でしょ」と若い人に思われてしまう。2020年度の日本の中高生の自殺者数が過去最大になったのもそこにつながってくると思います。そういう社会を私たち大人がつくってしまったのです。高齢者が当たり前のように幸せで、大人が幸せそうな社会がないと、若者が一生懸命生きないと思います。
高齢者の孤立だけに向き合っていても、高齢者の孤立は解決できないことがわかりました。人とのつながりの力で、あらゆる社会課題と向き合うことが大切です。
関わる全ての人に幸せが芽吹く居場所づくり
――Happy Care life株式会社代表取締役 中林正太
「管理される暮らし」の割合が高くていいのか?
当社は「関わる全ての人に幸せが芽吹く居場所づくり」という経営理念を掲げて、2013年に佐賀県嬉野市で創業し、「デイサービス宅老所 芽吹き」「分校Café haruhi」「ありのまま春日」「さとみち」といった事業を行ってきました。今回は「デイサービス宅老所 芽吹き」と今年4月にオープンした「さとみち」、そして「ありのまま春日」という3つのプロジェクトを紹介します。
「デイサービス宅老所 芽吹き」は2014年6月に開業したデイサービスです。
要介護状態になっても、今できることや知識、経験を生かして社会とつながることができる。それが役割になり、生き甲斐になって、「長生きして良かったな」と言ってもらえるような仕組みをつくりたい、という思いでスタートしました。
ここでは「味噌プロジェクト」として、食品衛生法上の味噌製造業の免許を取得して、スタッフと利用者様が一体となって長年の知恵や経験をもとに味噌を製造しています。その名も「500歳の手作り味噌」。「芽吹き」のある地域は農家の方が多く、高齢者のほとんどは自宅で味噌や醤油を手作りしていたという経験の持ち主です。また商品化された味噌は「芽吹き」として地域のイベントに出店し、そこで利用者様は売り子となっています。
また、味噌製造を一緒にやりたい人をFacebookで募集して、味噌づくりを体験してもらう「味噌づくり」体験会も開催しています。さらに味噌の売り上げを使って、地域の高齢者の方々をお呼びし、一緒に体操を行った後に食事をする「みそしる会」も開催しています。これは、いわゆる高齢者の居場所づくりで、つまり売り上げは地域に還元しているのです。
一方、「さと道」は、「管理されない介護がある空間」をつくりたいと思って始めたプロジェクトです。これは小規模多機能と住宅型有料老人ホームにカフェを併設した複合型施設で、カフェは入居される方々が希望に応じて働けるようにしています。このカフェは、入居者様や利用者様、スタッフとその子どもたち、地域の方々が集まってくる場所を目指しています。
「耕作放棄茶園」を活用した「茶の実プロジェクト」
嬉野町は人口2万6000人弱の町で、その山間地に春日地区という地域があります。ここは40世帯、116人が住み、高齢化率も50%弱の町です。
ここで「分校Café haruhi」を開いたのが、「ありのまま春日」というプロジェクトです。2001年に旧吉田小学校春日分校が廃校になり、そこを拠点に地域を盛り上げようと2016年にカフェを始めました。2年間運営して、ある程度お客様が来ていただけるようになった段階で、「春日分校食事会」という、この地区の元気な高齢者をお呼びした食事会を始めました。
最初は雑談から始めたのですが、皆さん盛り上がって、自ら「むかし美人の会」と命名され、「分校Café haruhi」で行うイベントにその会として郷土料理を出してくれたりしました。
ただ、この段階ではあくまで、「分校Café haruhi」を中心とした活動に留まっていましたが、「いかに地域全体を良くしていくか」を皆さんと考えた結果、「耕作放棄茶園」を活用して新たな特産品を開発する「茶の実プロジェクト」を始めることになりました。
嬉野は九州三大銘茶の1つに数えられる「うれしの茶」の生産地ですが、少子高齢化によってどんどん耕作放棄が増えています。ただ、ここを整備して、再びお茶の葉っぱでやっていくのは現実的ではない。そこで、「お茶の実」に活路を見出したのです。
お茶の実は葉っぱより、収穫や管理は簡単で高齢者でもできます。お茶の実からは茶の実油が取れます。中国の一部の地域では古くから「不老長寿の油」と呼ばれる程の質の良い油で、その油を活用するため、「分校Café haruhi」の裏の倉庫に搾乳機を導入し、食品油脂性製造業の免許も取得しました。そして「むかし美人の会」の方々と一緒に実を集め、絞って、その油を使って石鹸を開発。来年には販売していけるように動いているところです。
さらに、昨年末から農業にも本格参入し、「見える農業、魅せる農業」という形で、「芽吹き」「さと道」に育苗施設を併設しました。利用者様に育苗してもらい、その苗を春日地区に持って行って、「むかし美人の会」の方々と野菜にして、事業所で使ったり、加工販売したりと、法人内で福祉連携をやっていけたらと思っております。
地域の健康ケアのパートナーになりたい
――耆樂股份有限公司 陳柔謙
家でも外でも安心してみんなが過ごせる
私は台湾在宅医療学会の理事をしており、地域におけるさまざまなケアにもかかわりをもっています。現在は耆樂股份有限公司という会社の責任者もしています。その会社の経営理念は「地域の健康ケアのパートナーになりたい」で、地域で健康を促進する、認知症や自立できなくなる事態を予防することです。
業務は、①健康用品や健康関係のコンサルティング、②地域の健康促進や相談室の運営(地域の保健室)、③在宅サービスや介護の教育――の3つです。
このうち地域の保健室では、どこにいても安心してみんなが過ごせることを目指しており、そのために、いろいろな取り組みをしてきました。たとえば、医療センターや地方の診療所、薬局や治療所、NPOなどとのネットワーク化に取り組み、地域で200以上のいろいろな規模のイベントを行ってきました。住民と高齢者がかかわりをもつことも目標としており、スポーツや運動、美術関係、紙芝居や音楽、栄養関係などさまざまなイベントを行っています。
運動をテーマにしたイベントで印象深い患者さんがいます。パーキンソン病を患っていて、少しうつの気もある患者さんでした。そのために最初はご主人に車椅子を押してもらって参加されました。立ち上がったり、運動をしたりできませんでしたが、「座ったままでも構いませんので、是非参加して下さい」と声をかけていきました。その結果、何と7週目には、立ち上がって一緒に運動をできるようになったのです。
「一緒に練習しましょう」という雰囲気ができた
中等症あるいは重度の認知症の人が一緒に音楽を楽しむことで、笑うことがなくなってしまった人が、一緒に手を叩いたり、笑ったりするようになったこともあります。またオカリナの練習が、口の周りやデンタルのトレーニングにもなり、デンタル関係の疾患の予防や心肺機能の向上につながりました。
5週間ほど一緒に練習したことで達成感も得られたようで、友だちを誘って「一緒にやりましょう」というところまできました。最初は7人でしたが、最終的には18人の仲間ができました。
地域の保健室ではランチの集いもしました。自分の住まいの近くの高齢者に最初はシンプルに「一緒にごはんを食べてくれませんか」と声をかけて、一緒に持ち寄りでごはんを食べ始めたところ、「とても楽しい」との声が挙がり、今度は高齢者が「ランチの会を開くので、あなたも一緒に来て」と誘ってくれるようになりました。その後、自分たちでお金を集めて、自分たちで作るという巡回型のランチ会(高齢者宅または保健室にて)も行なっています。
そのほかアロマ教室のようなリラックスできるイベントも行っています。集まって一緒に香りをかいだりしているうちに、笑顔が出てくることもあります。親子で参加をしているケースもあります。認知症の母親に自分の愛情を伝えたりしながら1カ月から2カ月、結局その親御さんは亡くなられましたが、お互いにリラックスをしたり、感情を交流し合ったりできた場所にもなりました。
また、紙芝居も行ないました。台湾は日本の影響があり、80歳以上の高齢者は紙芝居になじみがあります。日本統治時代を思い出したのか、互いに日本語で会話を始めたり幼い頃の思い出を語り合ったりというふうになりました。
「人とつながりながら一緒にやる」という意識が弱かった
台湾で特徴的な新しいサービスを立ち上げようとしても、さまざまな規制があり、政府からの資金的支援がなかなか得られません。ですので、特徴的な新しい取り組みを行う場合は自分で資金を集めなくてはなりません。
また、地域における長期的ケアという意味では、さまざまなつながりが重要ですが、今の政府内部はそのような統合、コミュニケーションをうまく図れていないところがあります。
つまり、健康保険部門と社会福祉部門に「互いに一緒にやろう」というモチベーションが出てこない。しかし、私たちは高齢化社会に直面しているわけですから、生活は大きく変わってきています。政府の内部では部門が違うかもしれないが、一緒になってやるというモチベーションが重要です。
10年間やってきましたが、「人とつながりながら一緒にやる」という意識は弱かったと言えるかもしれません。今後は教育にもっと力を入れるべきであり、さらにリソースをネットワーク化するためには地域で高齢者そのものの力や意識を高めることも必要だと思います。
■ディスカッション 「認知症に着目して『地域共生社会』を再定義する」
超高齢社会を豊かで幸せな未来にするために
5つの政策提言をまとめる
参加者(研究員) 佐々木淳・医療法人社団悠翔会理事長・診療部長
丹野智文・おれんじドア実行委員会代表
前田隆行・特定非営利活動法人町田市つながりの開理事長
下河原忠道・株式会社シルバーウッド代表取締役
加藤忠相・株式会社あおいけあ代表取締役
市川衛・READYFOR株式会社 室長
胡朝榮・台北医学大学
蔡岡廷・永康奇美醫院
(事例報告者) 青山美千子・Community Nurse Company株式会社
濱野将行・一般社団法人えんがお代表理事
中林正太・Happy Care life株式会社代表取締役
陳柔謙・耆樂股份有限公司
役割の再建とリソースの活用に感動
市川 ここからはトヨタ財団の日台の研究員と、「日本における認知症と地域共生社会の先進モデル」を報告してくれた実践者で政策提言に向けたディスカッションを行います。テーマは「認知症に着目して『地域共生社会』を再定義する」で、①日台「先進事例」から学ぶこと、②「ごちゃまぜ」を阻むもの、③「景色のきれいな山登り」に向けて――の3つについて議論を行います。
最初のセッションで紹介した先進事例から学ぶことを参加者全員で共有した後、認知症の特性だけに着目するのではなく、年代や立場を超えてみんなで良い社会をつくろうとする「ごちゃまぜ」ができない背景には何があるのかについて考え、最後に浜野さんの話された「景色のきれいな山登り」、一番上にはすごくいい景色が待っているのだから、人生という山を登っていこう、とみんなが思えるようにするにはどんなことが必要かを話し合っていきたいと思います。
まず台湾の胡先生と蔡先生に、日本の3つの先進事例について注目した点など、ご意見をお聞かせください。
蔡 本当にすばらしい事例で、日本はかなり進んでいるという印象を受けました。台湾にも同じような取り組みはあるのですが、日台ではやり方にギャップがあると感じました。その一つがコンセプトです。
台湾では認知症あるいは高齢者の心身のケアを、その人の状態に合わせて分担して行うという仕組みになっています。この分散型の支援スタイルにはさまざまな問題があり、それをどう統合するかが課題です。例えば、病気という診断が下されるとその病気については「治しましょう」となりますが、病気が原因でさまざまな力が衰えても、それについては対応されない傾向があります。
新型コロナウイルスの感染拡大でも社会支援システムの分散による問題が露呈しました。今年5月の初めから台湾では新型コロナウイルスの感染者が急増しました。そうなるとその地域ではさまざまな検査を行うことになります。例えば、繁華街で感染者が発生すると、現役世代には検査等の支援があるのですが、仕事を引退した高齢者はどこで支援を受けて検査をすればいいかが欠落してしまいました。認知症でも同様のつながり不足の問題を抱えています。
もちろん台湾と日本では文化的な違いがあり、台湾にも良いところがあります。それはインフォーマルな部分で、台湾にはお互いに世話を焼き合うという風習があり、台湾人は、日本人よりも互いに助け合うというマインドを強くもっていると思います。
一方、台湾政府は政策に数値目標を設定して、その効果を検証していますが、1~2年という短期間で成果を求める傾向があります。なかには、社会的なつながりが欠けているために、目標を達成できないというケースもあります。政策の効果については、長期的な視野で検証する必要があると考えています。成果をすぐに求めがちなのは台湾の良くないところです。
日本の先進事例で非常に感動したのは、さまざまな役割をお年寄りにももってもらうようにしていることです。例えば、高齢の男性もかつては「息子」や「父親」、「夫」、「会社員」など、社会の中で何らかの役割を持っていました。それが、認知症になると自分の役割がわからなくなってしまいます。そうした人たちの役割を再建することはとても重要だと思いました。これは台湾の社会や政府にも広めていきたい。政策提言にあたって、このコンセプトを紹介したいと思いました。
一方で日本のさまざまなアイデアを台湾で実践するのは難しいとも感じました。例えば廃校となった学校の校舎をカフェテリアに変える取り組みがありましたが、用途の変更には面倒な手続きが必要になります。またデイサービスでのレストランの開設には衛生面の問題から審査を受けなければなりません。折角、新しいアイデアを共有できても、実施するとなると法律が壁になってしまう。このあたりについても政府がもっと柔軟に考えてくれたらと思います。
胡 日本の先進事例に感動しました。特に地域にあるリソースを活用していること、高齢者だけでなく家族や、さまざまな世代を巻き込んでいることは本当にすばらしいことです。
私は神経内科医として患者さんと家族の生活を診ている一方で、政府の政策制定にも参加しています。台湾政府では、2025年に向けて、777(トリプルセブン)という政策目標を出しています。7割の認知症患者は診療を受けて介護を受ける。7割の患者はサポートを受けられる。さらに7割の人は認知症に関する教育を受けられるという目標で、支援金も出ています。蔡先生が指摘された通り、毎年業績評価も行われています。
もっとも、台湾政府も考え方を少しずつ変えようとしていると感じます。例えば台湾台北市で政府は毎年フォーラムを主宰し、認知症の介護者たちからアイデアを募り、それを政策づくりに役に立たせています 今年3年目で、それら政策を実行することで認知症および、その介護者のニーズに今後も応えていきたいと思います。
現在、台湾では認知症介護に関して多くの問題を抱えています。台湾では認知症の人の9割は在宅で介護を受けていて、その3割は東南アジアなどの外国人のお手伝いさんを雇っています。認知症の人が自分の意思でコントロールできない行動をすると、お手伝いさんは非常に恐怖感を覚え、これをどう解決するかが課題です。
また独居の高齢者や老老介護も増えています。私の患者さんのなかには、軽度の認知症があるけど、重篤な認知症の家族の面倒をみないといけないというケースもあります。この老老介護も喫緊の問題となっています。
既存のプラットフォームを活用
市川 台湾から見た日本や台湾の良さや問題についてのご意見ありがとうございました。政策提言という意味では、「長期的な視点を持つこと」と「インフォーマルなサービスの重要性」が指摘されました。また、日本における廃校の転用やデイサービスでの食事提供など、柔軟性のある取り組みは、台湾からすると「うらやましい」という気づきもいただきました。次に加藤さんと下河原さんに日本と台湾の先進事例についてのご意見を伺いたいと思います。
加藤 台湾には何度も訪問して勉強させてもらっています。蔡先生が指摘されたように、台湾はもともともコミュニティが機能しているので、わざわざ日本の後追いをしなくてもいいと思っています。システマティックな制度をつくるより、当たり前に今のものが自然と続いていくような文化を大事にした方がいい。その中で、行われている持ち寄りランチやフレイル予防など、台湾における認知症と地域共生社会の先進モデルとして紹介された取り組みは興味深かったです。
日本の先進事例に関しては、中林さんの「味噌プロジェクト」は「500歳味噌の手作り味噌」など、取り組み内容はもちろん、ネーミングのセンスもすばらしい。雲南市の「編みテロ!」は非常にうまいと感じました。アメリカンキルトの発想ですね。みんなで少しずつつなげて1枚の絵にするという発想は、地域づくりをものすごくわかりやすく体現している事例です。浜野さんの地域サロンもそうですが、この3つの事例に共通しているのは、新しいプラットフォームをつくっておらず、すべて既存のプラットフォームを利用していることです。これがすばらしい。
従来、お金をかけて新しいものをつくって、そこに人を集めるということが「当たり前」として行われてきました。それで本当に地域の人が幸せになるのならいいけど、おそらく多くはそうならない取り組みをしている。それに対してアンチテーゼを投げかけると「こんなに一生懸命やっているのに」と批判されてしまう。
また、日本はどんどん新しいものをつくれるという状況ではありません。今までの当たり前をやめる方向が大事であり、空き家活用や廃校活用は本当に正しいと思います。すばらしい事例を見せてもらったというのが素直な感想です。
認知症のある人とない人を区別しない
下河原 私も台湾には何度も訪問させてもらいましたが、日本の介護保険制度の二の舞を踏んでほしくないと思いました。
要介護度で収益が数値化され、利用者が元気になっていくと収益が下がり、ビジネスモデルとして破綻してしまう。その結果、事業者はあまりがんばれないというジレンマに陥ってしまう。元気にするために一生懸命頑張ったのに、元気になると収益がさがり事業を続けられなくなる――。これは日本の介護事業者が抱える根本的な問題です。この状況を打破しようと奮闘する、福祉的なマインドをもった経営者もいて、もちろんそれもすばらしいことですが、それ以上に国民一人ひとりが少しずつでも福祉を理解して行動することが大切です。
3人の話を聞いて共通しているのは、認知症のある人やない人という区別を全然していないことです。そんな取り組みがこれから求められると思います。認知症のある人をどう支援するかという視点で考えると、どうしても「上から目線」になってしまいがちです。認知症の人たちのなかには「支援してほしくない」という人もいるでしょう。認知症の有無に関係ないところでやっているというのが印象的でした。
僕はビジネスをしているので中林さんの味噌づくりや農業について、注目して聞いていました。助成金などの税金をあてにするのではなく、民間の力で継続性を担保させようと、ビジネスモデルを考えて、そこに参加してもらう事業を作ろうという姿勢がものすごく先進的で、僕もそこを目指していきたいと思っています。
浜野さんの学生がかかわる取り組みも非常にセンスを感じます。このようなスモールビジネスが各地で広がっていくのが大事だと考えます。また、雲南市の「みんなの家」には近いうちに遊びに行きたいと思っています。
重度の認知症と診断直後の人の違いを知ってほしい
市川 ビジネスとして成立させることで、持続可能性を担保していくのは本当に大事なことです。続いて「ごちゃまぜを阻むもの」に議論を進めたいと思います。先ほどの話にもありましたが、認知症への対策を考えるとどうしても上から目線になり、分断を生んでしまうことがあります。この課題解決には、地域の人たちで良い社会づくりに取り組む「ごちゃまぜ」が有用ですが、なかなか広まらない。丹野さんはどういうご意見を持っていますか。
丹野 皆さんの考え方とは少し違うかもしれませんが、3つの先進事例を聞いて、これらはおそらく物忘れが多い高齢者と、地域をつなげるための取り組みだなという印象を受けました。認知症と診断された当事者のなかには、1人で出かけるのも財布をもつのも禁止されている人がかなりの数います。同じもの忘れがあっても、病名がついただけで、「一人で出かけられない」「財布も持たせてもらえない」となってしまうのです。このような状況が変わらないと、「ごちゃまぜ」など上手くいきません。例えば、本人が味噌づくりに参加したくても1人では出かけられない。あるいは本人が行きたくなくても家族に無理やり連れていかれるケースも出てくるでしょう。
認知症のおばあちゃんの場合、化粧もさせてもらえないことも珍しくありません。化粧もせずに人前に出るのは嫌だと言っても、人とかかわるほうがいいと無理やり連れだされる。当然、そのおばあちゃんは怒りますが、そうなると「BPSDだ」「大変な人だ」とされてしまう。まず、こうした悪循環があることをみんなに知ってほしい。3つの事例は本当にいいことをやっていると思うけど、その前に本当の認知症と診断された人の気持ちを理解してもらいたい。
また、何をするにしても本人が自分で決めることが大切だと思います。そのため、できれば認知症と診断された当事者と一緒に作り上げていってほしい。認知症の当事者は周りの人たちから、「自分で決められない」「決められたことしかできない」と思われているのが現状です。
私は「おれんじドア-ご本人のためのもの忘れ総合相談窓口-」の活動を通じて、多くの当事者と話しをし、本当に当事者が活躍できる場について考えてきました。その1つとして、病院内で診察や診断された不安な当事者と、すぐに隣の部屋で元気な当事者が出会う仕組みをつくりました。話し合うと本当に本人も家族も変わります。地域サロンなどでのレクレーションも重要だと思いますが、そこは本当に本人が行きたい場所なのかをもう一度、確認する必要があります。そのほか、私は当事者の勉強会をやったり、話し合いの場をつくったりしています、40代から80代まで参加者はみんな、レクレーションよりもしゃべる場の方が楽しいと言っていますよ。
それくらい認知症の人は安心してしゃべる場がないのです。家族と一緒だと家族にいちいち文句を言われてしゃべることも奪われてしまう。そんな場に行きたいと思うはずがありません。安心してしゃべれる場をもっと増やしていけたらいいのかなと。
こうした重度の人と診断直後の人を一緒にしていることが、ごちゃまぜを阻んでいるのではないでしょうか。その診断直後の周りの人のかかわりによって、結局支援する人とされる人の関係性、自分で決められない環境がつくられています。このことが、ごちゃまぜを阻んでいると思っていました。
「認知症だから」とされない環境づくりが必要
市川 丹野さんの意見を先進事例の実践者たちはどのように受け止めましたか。
中林 その通りだと思います。確かに私たちの場合、認知症と診断されたばかりの方の支援は全くできないという状況です。ただ、味噌プロジェクトでは、その売上を地域住民に還元することで、「認知症だから何もできない人」という価値観を「地域に貢献できる人」に転換しようと取り組んでいます。
濱野 丹野さんの意見はすごく参考になります。地域サロンなどの場には、ケアマネジャーさんが近所の認知症の方を連れてきてくれたりします。そこから一緒にお茶を飲み始めると、普通のおじいちゃん、おばあちゃんと変わりません。「認知症だから」とされない環境づくりはもっと必要だと感じます。コーディネーターの立場になると、専門的なサポートをどうするかと考えてしまいますが、丹野さんがおっしゃった、「選択肢があって本人に決めてもらう」ことがこれから大事になると改めて思いました。
青山 コミュニティナースとして実践をさせてもらうときに大切にしているのが、おせっかいをやく相手がどう感じておられるか、どう思われているかです。丹野さんのお話を聞いていて、雲南市の地域おせっかい会議で、神経難病との診断を受けたスナックのママさんのことを思い出しました。その方は「人の役に立ちたい」「自分の周りにいてくれる人に楽しんでもらいたい」「スナックのママであり続けたい」と話されていました。地域おせっかい会議では、そのような声を応援するために、スナックのママとしてのお客様への食べ物の調達や、お店のスタッフとして協力してくれる方の発掘とネットワーク化を行いました。今でも笑顔でお店に立たれています。ぜひ、皆様に一度、おせっかい会議を見に来ていただきたいと思います。
市川 「ごちゃまぜ」が進まない要因について前田さんはどう思われますか。
前田 今の社会は「認知症だからできない」という負のイメージに凝り固まっていて、その状態像だけが浮かび上がっています。この意識を薄めていくことが大事で、それには「認知症は怖いものでもないし、何もできなくなるものでもない」と社会に広く知ってもらう必要があります。
例えば、先ほどから出ている味噌プロジェクトの話ですが、認知症であってもそうでなくてもこんなにおいしい味噌がつくれる。また、子どもたちの多くは「味噌はお店で買うもの」というイメージをもっていますが、味噌づくり体験会などで関わることでそのつくり方を知る。子どもが高齢者から学ぶことはたくさんあります。認知症の有無は関係なく、高齢者は技や味の伝授という役割を担えます。そうした場所が地域の拠点になって、認知症に対する間違った知識を払拭していく。認知症があってもなくても生きやすい社会は台湾のような互いにフレンドリーな社会のようなところに行くときっといい。「ごちゃまぜはいいね」と言っても急には広がりません。やはり一つひとつの積み重ねが大事です。ただし、そうした取り組みが同時多発的に日本の各地でスタートしで広がっていくというふうに思っています。
外国籍の介護者が活躍できるサポートの必要性
市川 台湾の陳さんに次のような質問が寄せられています。
「台湾では外国籍の方が在宅介護や認知症ケアを担われているとのことですが、台湾における外国籍の方との共生は日本の学びになると思います。外国籍の介護の方を含めたコミュニティの事例や今後の展望などを教えてください」。
新型コロナの影響で進んでいませんが、政府は日本でも外国籍の方を介護の労働力として迎え入れていく方針です。折角、来てくれた方々がうまく社会になじめないのではないか。地域社会のなかで排除されるのではないかとの心配もあります。政策提言という意味では重要な視点と考えます。陳さん、いかがでしょうか。
陳 台湾では約30年前から外国籍の労働者の方々が特別な職種に就いていますが、高齢者の中には、外国籍の方にあまり良いイメージを持っていない人もいます。一方、精神的に不安定な高齢者とどう接していいかわからないという外国籍の方は少なくありません。そのため、介護の現場では互いに感情的にさまざまな反応が出てしまうこともありました。異なる民族や国籍の人たちが共生するには、やはり教育が必要です。台湾の人たちには、「外国籍の方々は台湾のために仕事をしてくれていて、自分たちは助けてもらっている」と理解してもらい、外国籍の方々には「認知症の症状をはじめ、認知症のある人や家族との接し方」を学んでもらうことが大切です。
そのための活動として、認知症の人とのかかわり方や介護のテクニックなどの知識を、直接外国籍の方々に教えています。インドネシア語やタイ語の資料も用意しています。さらに外国籍の方々に介護日誌のようなものをつけてもらって、介護をするうえで難しいことや気づいたことがあれば、そこに記してもらう。その日誌のやり取りを通じて、介護の質を高めるとともに、お互いの交流も図っています。
制度の壁を壊して「ごちゃまぜ」を推進する
市川 このシンポジウムの目的の一つに政策提言があります。それも含めて「景色のきれいな山登り」となるには、どのようなことが大事になるかについて話をしていきたいと思います。これからの社会を作っていく最前線にいる3人の実践者が現場でさまざまな実践を行う中で、「この部分がもう少し変わればいい」と感じていることが、そのまま政策提言につながるように思います。
青山 コミュニティナースとしての活動を地域で続けさせていただいてきて思うのは、私個人ではなくメンバー全員の言葉でもありますが、今までになかった新しい取り組みを理解してもらうのが難しいということです。理解は目的ではないと思いますが、理解が追いつかないことで、協力が得られにくい、活動が推進しにくいという雰囲気のような壁を感じることがあります。例えば、類似の活動がすでにある場合、取り組みの違いの説明を求められるといったことがあります。
また、元気なうちからそこに存在していくということの価値は、ニーズとしては潜在化しているケースも多く、「まだ元気だから」「介護にはまだ早い」と解釈されることもあります。政策提言ではありませんが、そういった今までにとらわれないこれからの日常をつくり出していくためには、ビジョンを共有し、共感を引き出しながら対話を続けていくことが大切だと感じています。
市川 「ナース」というと病気を治してくれる人というイメージを持たれがちですが、地域をつなぐという役割に対する理解がもっと進めば、行政や地域住民の側から、こんなことに活用していこうという声が挙がるようになるのかもしれません。濱野さんはどのようにお考えですか。
濱野 やはり「ごちゃまぜ」を進めていくことが必要であり、これについての提言としては2つあります。1つはモデルがあることです。
私は下河原さんの「銀木犀」や加藤さんの「あおいケア」を見て、自分たちもこんな景色をつくりたいと思いました。地域ごとに特色は違い、そのまま真似はできないけど、先進モデルがあると、「頑張れば実現可能だ」と自信にもなります。先進モデルを広めていくことは、すごく大事なことだと思っています。
先進モデルに関していうと、ビジネスとして成り立っていることも重要です。私たちの法人はまだまだ小規模ですが、収支をすべて公開して、補助金だけに頼らず黒字化を実現していることを学生に伝えています。
もう一つは制度の壁を壊すことです。私たちの場合、新たに障害者事業や児童を対象とした事業を始めようとする時に。制度の勉強をし直したり、許可を取り直したりすることに非常に苦労しました。「ごちゃまぜ」を進めていくうえで、これは結構高いハードルになります。高齢者事業と障害者事業、児童を対象とする事業に関する制度が一本化されていると、横断的な事業を始めやすいと思いました。
市川 ごちゃまぜなことをしようにも、それぞれの制度の壁が高いとなかなか前に進めない。こうした状況は絶対変えないといけません。中林さんはいかがでしょうか。
中林 私も浜野さんと同様、介護福祉と連携しながらさまざまな事業を展開するうえで、相当制度の壁に悩まされています。例えば、農業を始めるにあたって、農地法は本当に古い制度であり現実社会と適合しない部分もでています。空き家の活用も同様の壁があります。どんな仕組みがあれば、制度が変われば挑戦しやすくなるのか。今後やっていくしかないと感じています。
あとは学校教育です。介護福祉や医療に関する専門教育をする学校では、資格をとるための教育ばかりで、「介護って何だろう」「地域づくりとは何か」など柔軟に視野を広げる教育は欠けています。こうした教育をやっていく必要があると感じます。
胡 日本の若い人たちの話は大変すばらしく尊敬します。東南アジアの平均年収が上がってきたため、台湾では外国籍の介護職の確保は難しくなりつつあります。そこで台湾では政策として、若い人たちに介護の仕事をするよう奨励しています。台湾国内における富の保有者の大半は高齢者であり、若い人たちに、ICTの技術を含めて新しいアイデアでサービスを提供し、高齢者からお金をもらうよう奨励しているのです。若い人たちにはぜひヘルスケア産業で力を出してほしいと思っています。
丹野 制度や経営、建物などのハード面については皆さんすごく考えられていますが、人とどう接するかももっと大切にしないといけないと思います。私が仮に家族と一緒に、皆さんのような支援者と出会うと、最初に皆さんは家族に挨拶をされます。名刺を渡すのも冊子を渡すのも説明するのも家族です。これでは人間関係はできません。政策提言となるとどうしてもハード面がピックアップされやすいけど、人と人とのつながる関係性を地域で作っていかなければ、どんな取り組みも上手くいくと思います。
周囲を巻き込むポイントは、参加者のメリットを上手くつくること
市川 政策提言をまとめる前に、参加者からの質問にいくつか答えたいと思います。「味噌などの製品の売り上げを製造に携わった利用者に還元して、その人たちに地域で買い物をしてもらうことで、施設内だけで終わらせず、さらに地域の人たちへの広報にもなるのではないでしょうか」との意見が寄せられています。中林さん、いかがでしょうか。
中林 結局、それぞれの考え方や価値観によると思います。私は直接還元すると狭い取り組みになると思って、あえて地域の人たちの居場所づくりに使うという選択をしました。
市川 浜野さんに対して、「自然と多世代交流ができる仕掛けをつくられていますが、学生をどのように集めているのでしょうか」という質問をいただいています。お答えいただけますか。
浜野 学生を集める方法はいくつかあります。1つはSNSで楽しそうな景色を発信することです。「こんな感じでおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に空き家の改修をやっているよ」「みんなで漆喰塗りしよう」など、楽しそうな景色を発信しています。そのときに大事なのは、参加の余白をつくることで、SNSではいろんな人が参加しやすい空気感も伝えています。
学生を集めるにあたって、本質的には参加者の満足度を高めることに尽きると思っています。「すごく楽しかった」「すごい経験をできた」「おじいちゃんやおばあちゃんが喜んでくれてうれしかった」という経験をした学生たちは、その体験をインスタグラムに上げてくれたりします。そうすると、それを見たその友人も参加してくれるようになります。そのため、参加してくれた人が満足するようなことを心がけています。
市川 浜野さんに対してはもう1つあります。比較的若くて人口が多い自治体でもそうした取り組みは活用できると思いますか。
浜野 活用できると思います。現に私たちが行っている高齢者向けの生活支援事業は色んな地域で始まっています。もちろん、そっくりそのまま別の地域でできるかというと上手くいかないかもしれません。他で上手くいっている事例については、どうやれば自分の地域でできるかを追求していくことが大切です。
若者を巻き込むという取り組みについては、「近隣に大学があるから」と言われますが、実際には高校生の占める割合が多いので、参加する人たちのメリットを上手くつくることができればどこでもできると思います。たとえば、私たちの場合、若者にとってのメリットはコンセントとWi-Fiがある勉強場所で、そこに行くとたまたま高齢者とも仲良くなれるという文脈があります。私たちの行っている生活支援事業と若者を巻き込むという取り組みは比較的横展開しやすいと思います。
市川 SNSによる発信や若者を巻き込むという取り組みは、あおいケアや銀木犀がその“走り”かもしれませんが、「わくわくできる」部分へのこだわりなどは横展開可能と感じました。胡先生に対して「日本の認知症大綱では、認知症になる人の割合に対する削減目標が掲げられましたが、『認知症になる人はよくないことだ』というスティグマにつながってしまうという議論もありました。台湾ではこのような問題は起きていませんか」という質問がきています。いかがでしょうか。
胡 認知症に対してレッテルを貼ってしまう問題は、残念ながら台湾においてもあります。例えば、台湾の新北市ではあるコミュニティを認知症の方々の拠点として使ったところ、周辺の住民からは好まれなかったということがありました。認知症の拠点があると周辺の土地の価値が下がる、経済的な活動に影響するといった声があったのです。認知症に対する理解を深めてもらうための啓発活動が重要だと考えています。これについて台湾ではまだまだ十分とはいえません。
5つの政策提言をまとめる
佐々木 最後に今回の議論をまとめたものを皆さんと共有したいと思います。地域共生社会を目指すプロセスは浜野さんの言葉を借りると、まさに「景色のきれいな山登り」を楽しむということだと思います。私たちは超高齢社会が「暗くて暗澹たる辛い未来」だと思わざるを得ないような発信に日々接していますが、どうすれば「超高齢社会を豊かで幸せな未来にできるのか」と、発想を変えていくことが大事だと思います。
認知症は誰にとっても他人ごとではない、すべての人の将来の姿であり、そして認知症は医療介護サービスだけでは支えられません。青山さんの指摘する「認知症でも主体者として生活が継続できることが重要になる」ということです。
果たしてそのようなことができるのか。私たちは4つの先進事例から「できる」ということを学びました。
市川さんが「ごちゃまぜ」というキーワードでまとめてくれましたが、認知症の人だとか、高齢者だとか、そういうことではなく、みんなが楽しく地域で幸せに暮らし続けるための仕組みが必要だということです。そしてその仕組みを地域の中で維持していくためには2つの持続可能性が必要になります。
1つ目は運営面の持続可能性です。自治体は「何かやろう」と思うと、よくお金をかけて箱物を作りますが、人が集まるのは一瞬だけで長続きはしません。そうではなく、その事業が自然に成長・拡大していくような「場」を基軸に、地域に「つながり」が広がっていき、それが結果として「居場所」や「役割」「生きがい」を生むのだと思います。
浜野さんの言葉を借りると「参加者自身が楽しめる」ことがすごく大事だと思います。すべての取り組みを見た限り、本当にネーミングからデザインまでわくわくするようなものが多く、空間についても古い建物も新しい建物もありましたが、参加したくなる枠組みがあることが大事なのだと思います。
2つ目は経営面の持続可能性です。もちろん医療介護事業は公的資金に依存していますが、私たちの生活のすべてを公的資金で守ることができません。どうすれば、そこに公的資金のみに依存しない、持続可能性のあるビジネスモデルとしての側面を取り込めるかも重要だと感じました。
加藤さんと下河原さんという優れた実践者であり、経営者でもある2人がまとめてくれた先進事例の共通のポイントは次の6つに集約されると思います。
【先進事例に共通のポイント】
・本来あるべきコミュニティの支え合いの機能を補完するもの
・新しいプラットフォームをつくろうとせず、既存のものを活用している
・いまある当たり前にこだわらず、「人の幸せ」になるものをつくっている
・先進事例では、認知症の有無が関係ない形で事業が行われている
・公的資金だけに依存しない持続可能性のあるビジネスモデル
・専門職や経営者以外の地域住民が、福祉とは何かを理解することが大切
これらの議論を踏まえて今回は暫定的に政策提言を5つにまとめました。
1つ目は「まずは認知症の人が主体者として選択できる環境や権利の確保を」です。そのためには、社会、特に住民、専門職、そして当事者自身の認識を変えていくためのより強力な取り組みが必要です。
2つ目は中林さんと浜野さんも指摘していましたが、「年代や対象で異なる縦割り制度の壁を低く、その制度改正に専門職/当事者も関われるように」していく必要があります。
3つ目は「事業者は公的資金・補助金だけに依存せず、事業としての自立性に対する責任を持つ」です。そのために持続可能な福祉事業モデルの構築、情報発信と参入促進と、資金調達という具体的な方法の確保が必要でしょう。
4つ目は「ハードを新設する議論にとどまらず、既存のプラットフォームの活用・人と人との関係性を基盤に」するべきであるということです。
5つ目は「短期的にアウトカムが可視化できないことを前提とした政策目標・支援目標の設定を」です。これは蔡先生からのコメントにあったことです。
こちらでディスカッションは終了させていただきます。4人の先進事例の実践者はアラサーです。日本は年功序列の社会であり、これまで年長者の方々が社会の形をつくってきました。ただ、認知症と地域共生社会については形づくるのに長い年月がかかります。それが完成したころ、支えられる側にいるのは私たち自身かもしれません。若いからではなく、若いからこそ、この領域でより積極的に情報を発信していくべきですし、そうした方々をしっかりと支えていきたいと思っています。
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